最近、M新聞のジェンダー(社会的性差)報道や特集記事が目立つ。M新聞は3月8日の「国際女性デー」に合わせて、鹿児島県内の民間企業で働く男女を対象に性別による職場での不平等感などを質問するアンケート結果を検証した1面記事を掲載した。主見出しは「男女ともに3割超え」、解説見出しは「ジェンダー 影響根強く」だった。
問題点や意見の分かれる論点が複数あるので、実体験を踏まえて指摘したい。まず、アンケートのキャパシティ(人数や年齢層)及び取り方や質問事項に問題がある。アンケート結果を踏まえた検証は、賛否両論が予測される論点につき、コントロール(対立軸)される2項目(もしくは複数項目)を抽出し、人数や年齢層(今回は男女別のみで年齢層は除外されている)を組み合わせて、質問事項を絞ったうえで反映された結果を分析することで問題点を浮かび上がらせるのである。そこで上記の内容を反映された結果を検証できる。
例えば、18歳女性であれ65歳女性であれ、バリバリ働いている人は多いはずだ。だが、仕事へのスキルの順応性、熟度、経験、役職等は自ずと違う。加えて言うなら、男性でも同様なことは考慮されるべきだ。未婚と既婚では、職場での男女の不平等感の濃淡はあるのか?ないのか?結論から言うと、粗いアンケートによるジェンダーへの考え方のミスリードととらえられても仕方がない。
記事への具体的な指摘を行う。アンケートの結果によると、職場の性別による不平等感は男女ともに3割を超えている。これは事実として受け止めなければならない。しかし、記事やアンケートのグラフに注意深く目を凝らすと、女性で不平等感は「ない」と答えたのが29・57%、男性では36・35%。「どちらかと言えばない」を単純に足すと、女性57・27%、男性60・44%ということになる。この点は記事中言及されていない。男女ともに「ある」「どちらかと言えばある」の3割超え見出しに従えば、「ない」「どちらかと言えばない」の5割超えの見出しも不可欠である。なぜなら、新聞社は何かといえば報道に関して「偏向しない」「賛否両論を併記する」立場を主張するからだ。
職場での性別の不平等感について実体験を記す。ジェンダーを考えるうえで参考になればと思う。これまで明かしているように、筆者は大学卒業後、鹿児島県内の弱小紙S社に記者として入社した。最初に配属されたのが、直属のパイセン(上司)2人の女性記者とともにチームを組み、取材して記事を書く鹿児島市政という担当だった。当時はジェンダーなん~て言葉は存在しなかった。男女雇用機会均等法が施行され、労働環境においての男女共同参画への法的取組や社会的気運が高まっていた時代である。またセクハラが社会問題化して、職場での男性による女性への性的な嫌がらせが極端にクローズアップされていた。
新聞社は高邁な社訓や理想を紙面で語るが、当時の男女平等への取り組みなど今でいう〝ブラック企業〟よりも遅れていた。新聞社などは労働基準法でいう〝三六協定〟の範囲にあり、労働環境に関して例外の多い職種だ。当時のS社は女性記者の泊まり勤務をさまざまな理由で禁止していた。その代わり、労働基準法違反スレスレの残業時間を課したり、サービス残業も厭わぬ形での出勤も珍しくなかった。他社も似たり寄ったりだったと記憶する。筆者を含めた男性記者は別にそんなことを問題視したり、性別による不平等感を感じたことなど一回もなかった。
新米記者の筆者は、自分なりに精一杯取材して記事を書いて仕事をこなしてきたと勘違いする出来事に出合う。入社して半年。鹿児島市政の紙面リニューアルが検討され、部会でアイデアを出してよいということになった。ちなみに一番パイセン女性記者をYさん、筆者と1歳年上の女性記者をKさんと呼ぶ。Yさんの記者経歴はスゴイの一言(詳細は割愛)。ひとつ例を挙げるなら、当時、世間を騒がせていたエイズ問題でM新聞の担当記者を差し置いてシンポジウムのパネリストとして招かれていたという。Kさんは筆者が失敗をやらかすと、後でそっとフォローしてくれる気遣いの人だった。
さて、開かれた部会。部長が「何か紙面改革の目玉になるようなイデアや企画案を出して」と発言したので、筆者は温めていた企画案を提案した。もめにもめた後、再検討の判断が下った(最終的には採用された)。部会が解散して、フロアの隅で筆者を手招きするYさん。何事か思い近づくと、「岩崎君、あなた普段の仕事がしっかりできていると思ってる?」。??? これって、言葉によるパワハラ??モラハラ?? 当時はモラハラなんて言葉は知らなかった。
Yさんが投げかけた言葉はこれだけだったが、後に続く言葉は鈍感な筆者でも予想できた。「自分に課された仕事でもろくにできないくせに、一人前になったように勘違いしていないか?」。こえぇー。もちろん、パイセンの言葉は重い。記者として自分の実力も備わっていないのに部会で新米が発言するなよ・・・・。そんな意味合いも込められているに違いなかった。〝ありがたい助言?〟〝嫌味?〟〝皮肉?〟だった。
数々の修羅場を踏み、硬軟織り交ぜた記事を書くYさんは、当時社内の同僚記者も社外記者も一目置いていたと思う。しかし、前述の発言が男性だったら許されるべき趣旨だったのか?記者は自尊心を傷つけられることに慣れていない動物だ。自尊心を傷つけられたことをかみ砕いて、さまざまな形(特ダネ・特集記事)で読者に伝えられる記者でありたいと常に心がける。自身がそれなりに記者魂をもち仕事に打ち込んでいる新米には、150㌔超えのどストーレートな助言は受け入れがたかった。仕事に取り組むうえでの向上心を急降下させる。直属の上司なら、部下の特徴や欠点を把握して、どんな助言が適切かを考える立場だ。Yさんにはそのような前提はなく、モラハラ?パワハラ?のような発言に至ったと思う。その後、仕事の割り振り等については冷遇された。簡潔にいえば、冷たかった。
この事件?からの後日談。もう一人のパイセン女性記者KさんにYさんから前述した発言を受けたことを相談してみた。Kさんは笑って「Yさんなら、あり得る」。筆者は「あの発言はひどすぎる。人格を否定している。あんな発言ができる理由があるんですか?」。Kさんは顔をしかめて言った。「Yさんは駆け出しのころ、サツ回りを希望して数年担当した。そのとき、現場でずいぶん女性蔑視(おそらくセクハラ?)のようなことを体験したらしいよ。Yさん自身は女性記者として尊敬できる人。でも、いろんな意味で男性には厳しい意見を持っていることは間違いない」。筆者はKさんの言葉を聞いて納得した。
Yさんは職場や現場での性別による不平等を自身で切り開いてきた勇者だったのだ。能力不足の筆者を皮肉ることくらい、小さいことだったに違いない。この発言等に関して、Yさんからの言質は一切なかった。この事件以降、筆者は仕事へのモチベーションを失った。悪い循環は失敗を招く。裁判官の氏名(名字を変換ミス)を誤って出稿した(人手不足で刑事事件の裁判取材も兼務していた)。てん末書と始末書を提出し、1週間の内勤(事実上の現場取材の禁止)を命じられた(具体的には通信社の配信記事の書き直し・天気予報の記事出稿・電話番等の雑務)。
パイセン女性記者2人からは、「こんな忙しいときにヘマをやらかして・・・・」と冷ややかなオーラが発せられていた。なぜなら、その時期は石橋撤去後の都市計画が市政の最大のテーマで、多角的な検証記事が求められており、新米でも猫でも現場に出てほしかったからだ。もちろん、市政以外でもデーリーワーク(記者会見・美術館取材・百貨店の物産祭取材等etc)は通常通りこなさなければならない。今考えると、2人のパイセン女性記者の気持ちは、推して図るべし。
1週間の謹慎期間が明け、現場に出た初日の退勤時間前後、Kさんから声をかけられた。「岩崎君、1週間大変だったね。仕事が終わったらメシと酒飲みにいこう。わたしのオゴリ」。Kさんが親しい同僚以外をメシや酒飲みに誘うことは滅多にない。即座に「行きます」と返答。メシを食べた後、Kさんは筆者を行きつけのバーへ連れて行った。「内勤はキツかったね。でも、たった数行、数語がだれかを傷つけるのが新聞。印刷されたら、絶対に戻らない。取材して記事を書くことに慣れてしまい、記事の裏側でだれかが傷ついているかもしれないという思いに気づかない。それが一番危うい。ワープロのキーボード(当時はパソコンは未導入)を叩き、出稿段階で何回も何回も見直す。固有名詞に間違いはないか?事実関係はあっているか?記者の思い込みはないか?的確に短く、基本に立ち返っているか?その作業が失敗を防ぐことになる」と優しく諭した。言葉の一つひとつが胸にグサッと刺さった。と同時にフッと肩の力が抜けた。温かいフォローは二十数年前のことだが、はっきりと覚えている。
筆者はモチベーションを取り戻し、一心不乱に仕事にまい進した。Yさんは相変わらずの態度だったが、Kさんとは性別も関係なく、先輩・後輩の良好な関係を築くことができた。Kさんの助言は女性ならではの行動だったと思う。上司が男性記者なら失敗直後に「飲みにケーション」で慰められ、あとは「自分で解決しろよ」でチョンだったはず。女性が上司だったおかげで、筆者は立ち直れた。結論。女性であれ、男性であれ、職場にはさまざまな人格の人がいて、多様な考え方を組織内部でいかに反映させることができるかが、仕事での不平等感を解消するヒントになり得る。能力の査定は、男女の性差とは無関係に絶対値である。・・・・以下は長くなるので、②に続く。
元ブンヤ